企業年金の現場から H25.10

厚生年金基金はどこへ行く

 

 厚生年金基金制度は昭和40年に創設され、翌41年に初めて厚生年金基金(以下基金という)が設立認可された。そして高度経済成長とともに基金は順調に増加し、平成9年度末には1,874基金に達した。しかし、その後は景気の長期低迷を反映して減少に転じ、更にDC制度(平成13年)、DB制度(平成14年)の創設によって、多くの基金が他制度に移行したため平成16年度末には半減し838基金となった。更に、その後も減少し続け平成24年度末には560基金、ピーク時の3割を割ってしまった。しかもそのほとんどが解散もしくは解散予備軍という有様である。

元々基金は、加入員の老後の経済的支援の一助として社会保障制度の一翼を担い、高い志の下に設立された。経済は限りなく成長し右肩上がりを続けると信じて・・・。

 しかし、景気の減速とともに年金資産運用利回りが長期にわたって予定利率を下回る状況となった。そして掛金の引上げや給付の削減など懸命な努力にもかかわらずその乖離は埋めがたく、多くの基金は年金資産が最低責任準備金に満たない水準にまで落ち込み、これが常態化してしまった。

 

 この状態を看過すると、基金関係者だけでなく厚生年金被保険者やその事業主が大きなリスクを背負うことになりかねないと国は結論付け、いよいよ大ナタを振るわざるを得なくなった。かつて解散したくても認可が厳しくて解散できなかった基金にとっては忸怩たる思いであろう。

 

 改正法の施行により平成26年4月から平成31年3月末までに約4割の基金は解散を、また、約5割の基金は解散もしくは代行返上を余儀なくされる。そして残り約1割だけが高いハードルの下に存続が許される。全ての基金は代行返上又は解散し他制度に移行する手立てを与えられたが、大切なことは、基金が受給者や加入員の受給権・受給期待権にどう応えるかであり、基金は受託機関の提案を鵜呑みにすることなく、受給者・加入員・事業主の思いに謙虚に耳を傾け、最大公約数が何かを冷静に見極めて、その実現に邁進しなければならない。

迎える5年間、それは決して長くはない。

(近藤嘉正)

 

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