企業年金の現場から H24.10

厚生年金基金のむかう方向(その3)―任意脱退についての長野地裁の判決について

 

 8月24日に長野地方裁判所で注目されていた厚生年金基金からの任意脱退の可否についての判決が下されました。結果は原告勝訴で、このケースでは、代議員会の反対にもかかわらず任意脱退は有効であるというものです。

 

 この判決には、新聞記事やコメンテーターからさまざまな解説が出ました。その大要は①これで原則として意脱退は合法的なものと認められ、今後脱退が勢いづくだろうという見方と、②この判決は、事務局長が24億円ものカネを持ち逃げし、AIJに65億円も委託して焦げ付かせたりした最悪の基金運営に対するもので、もっとまじめに運営しながらも結果代行割れに至ったという程度の業績悪化基金にまで適用されるかは疑問という論評です。いずれも判決の結論だけを見ての「感想」で、判決原文の理論構成を深く読み取ったものではないようです。

勿論この判決は、任意脱退の有効性について出された最初の、しかも下級審の判定で、基金側は早速控訴しているという意味では、この判決で司法判断が固まったということではありませんが、判定に至った論証過程には、厚生年金基金の法的位置づけに深く切り込んだ部分がある点は注目すべきです。

 

 まず第1に、判決文にはそこまで明示的には出ていませんが、まず、この任意脱退は憲法が保障する結社の自由という基本的人権の一部をなすものであるという判断です。ですから、いかなる場合でも脱退を代議員会の議決で不承認とすることが出来るわけではないのではないかと問題をまず提起しています。

 

 第2に、被告(基金側)がいうように、基金はその「公的性格」の故に破綻させるべきではないという主張に対するかなり明確な否定です。つまり厚生年金基金の「公的性格」の中核は、その代行部分の給付であるが、これは脱退や解散の場合も企業年金連合会に引き継がれるなどして給付が保証されるので、基金の存続を必要としない。また加算部分についても脱退一時金等が支給され、一括徴収金によって脱退が直ちに基金の運営に障害を来さないよう配慮されており、基金の「公的性格」はさほど実体のあるものではなく、それ故に脱退を拒否できるという根拠は薄弱であると論断しています。

 

 そして判決は、「公的性格」などというあいまいな観念を根拠に基金脱退拒否を常に認める必要はなく、本件のような「やむを得ない事由による」脱退は代議員会の承認議決や、その後の厚生労働大臣の認可等がなくても有効に成立するというものです。

 

 では、何を持って「やむを得ない事由による」脱退といえるのでしょうか?

判決は、ここでもかなり踏み込んで、「基本的には、原告の主観的事情によるべき」としており、一つには、企業の人事政策や、退職金制度の変更という、もっぱら企業側の事情からの脱退が認められることのほか、基金の運営不振が脱退を要する程のものかどうかの判断も基本的に企業側の主観に委ねられ、その脱退は「やむを得ない事由による」ものとして代議員会承認議決を要しないという理論的枠組みが示されていると思われます。

 

 判決の論理構成では、代行部分を除いた加算部分は私的契約に近いものなので、信頼関係の欠如は契約解除(この場合は脱退)原因となるということになりますが、それでも、厚生年金基金の「公共性」を敢えてあげつらうとすれば基金は一種の共済制度だから、相互扶助義務がある、加算部分についても、中小企業の私的企業年金では考えられない終身年金給付が可能で、国のバックアップあればこそという信頼感を守るべきである、という2点が考えられますが、①については同じく共済制度である中退共では解除可能であることとの均衡から見ても基金の脱退を制約することは妥当とは言い難く、②については、制度の建前としては理解できますが、目下の代行割れ基金がさらなる掛金引き上げなしに、将来に亘って終身給付を継続できるかは疑問とされるところで、実質的説得力に欠けると思われます。

 

以上

 

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